お花見と御朱印巡り以外の投稿。
4/9は皮膚科の帰りに無料の抗原検査を受けてきました。
文化会館のお隣。串カツ田中があった場所ですね。


土曜日だからやってないかと思ったけど無休だそうです。
ありがたいね~。
翌週検査入院するので
強制ではないのですが自主的に念のため。
結果は陰性



午後からは縫い縫い

酒蔵の前掛けネット注文してリメイク。
裏地は家にあった布を利用。
ファスナー、金具等は100均で購入。
ショルダーベルトは買ったけど使用せず
前掛けの紐を利用しました。


出来上がったショルダーバッグが




ショルダー紐の長さ120cmと書いてあったんだけど
ちょっと短いような気がする



この日の、Uチャンの
の後始末をしてたら

ティッシュに血が付いた。
(
だけモザイクかけてみた)



こんな事初めてでちょっと動揺しましたが


血が付いたのもこの1回だけだったので
4/11の通院日まで様子見してました。
腎臓の関係で3~4ヶ月おきに定期的に血液検査してて
そろそろ検査の時期だったし
フィラリアの検査もまだだったので
ついでに細かい項目まで血液検査してもらいましたが
いつもの腎臓系の項目だけ数値が高かったですが
他は問題なしだったので、このまま様子見となりました。
4/15はUチャン
シャンプー



4/15~19に検査入院

成人病健診で引っ掛かっての再検査。
ありがたいことに友達が病院まで送ってくれました

入院前の説明では
ホルモンの分泌が正常かを調べる尿検査・血液検査と
腫瘤が良性か悪性か診るためのMRI(またはCT)と聞いていたのですが
「尿検査・血液検査の結果を診てMRIかCTかを決めるので
入院中の検査予約を取っていない」とのことでした。
その時は『また別日に有給取らなあかんのか』
くらいに受け流してしまったのですが
よく考えたら入院中に検査すれば
高額療養費制度の上限額のうちに収まったのに
検査結果が出た後だと翌月になるから丸々うちの負担じゃん

失敗した
検査は入院した日の午後2時から翌日の午後2時までの
24時間に採った尿を全部瓶に貯めるの。
時間は決まってなくて自分のタイミングで
へ。
それを3日間繰り返し。
3日目の23:00と、4日目の7:00と、5日目の7:00に血液検査
それだけ。

検査は入院した日の午後2時から翌日の午後2時までの
24時間に採った尿を全部瓶に貯めるの。
時間は決まってなくて自分のタイミングで

それを3日間繰り返し。
3日目の23:00と、4日目の7:00と、5日目の7:00に血液検査
それだけ。
自覚症状が全く無く、いたって元気なのですが
コロナ禍なので「あまりウロウロしないでください」とのことで
退屈しのぎで
持ち込んでて良かったよ。

食事も普通食でモリモリ食べてます。

他にすることないから毎食
撮ったった



普段の朝食は
か
で済ませてるので


ボリューム多いなと思ったけど、ペロリとたいらげたわ。

温かい献立は温めた器で、冷たい献立は冷やした器で
おもてなし感がはんぱない



ただ好きな時に好きなものを食べられない。


いつもの
も


「ダメとはいいませんが極力控えてください」と。


口がさみしい













4/15午前中に退院できました。
何時に退院できるか分からなかったので
タクシーで帰るつもりでしたが
病院を出たらちょうどバスが停まってて
『バスって手があったか。でも駅前で乗換えだしどうしよう
って考えてる間にバス出ちゃうよ』
ってことでバスに乗り込みました。
駅前では20分待ちがあったけど
大荷物だったので寄り道せずベンチに座ってた。
ず~っとベッドの上にいたので腰が痛くなっちゃって

午後から整骨院へ。
夕方Uチャンとちょっとだけ近所の公園へ。


一生懸命歩いてる


腰が曲がっちゃって不自然に三角に盛り上がって
背骨に沿ってた黒い毛がうねってる



4/21は誕生日

「お誕生日おめでとうございます」って表示されるんだね。
ご丁寧にありがとうございます



会社の先輩からいただいた手作りお赤飯と
おっかが買ってきてくれたケーキ
どっちも美味しかった



翌日4/22は
に送ってくれた友達が

退院&誕生日祝いと言って焼肉弁当を届けてくれた

だし巻き卵付き
こちらもめちゃウマ

今度自分で買いに行こう。


4/29は福井県立歴史博物館へ。 ¥100
企画展『戦国越前の謎を解く~真柄十郎左衛門の正体など~』


藤とツツジが咲いてました。


昨年、真柄十郎左衛門に関する史料を発見、入手しました
大きな謎に包まれていた真柄十郎左衛門ですが
新たな史料の発見やそれに伴う調査・研究によって
真柄一族や大太刀に関する事実がついに解き明かされます


千代鶴神社・興徳寺参拝の時に
検索したんだけど

大太刀の持ち主について等よく分からなかったので
謎を解き明かしに来ました



太郎太刀・次郎太刀 のレプリカ(朝倉氏遺跡保存協会蔵)
実物はこれより40~60cm長いそうです。

姉川合戦図屏風(1837年林義親作)
十郎左衛門は朝倉義景に仕えた
身長約2mの巨漢で、約3mの大太刀を使う怪力だったと伝わる
ほぼ等身大のパネル
真柄十郎左衛門と匂坂式部が対戦していました。
家康は左のほうの陣で悠長に椅子に座ってました


新発見史料 真柄氏家記覚書 長さ約10mもある巻物
直隆の曽祖父・家次から合戦後に医家の田代家を相続した田代養仙までの
約170年間の事績と系譜が記された古文書
養仙の子・養山が匂坂式部本人や朝倉旧臣から聞き取り、17世紀に作成した
この覚書から十郎左衛門は直隆の父・家正がもともと称していた名で
姉川合戦時は直隆に譲っていたと判明
二人とも合戦で討ち死にしたが
匂坂に討ち取られたのは直隆ではなく家正だった
また大太刀を振るっていたのは直隆に限らず
真柄一族が大太刀使いの家系だったことも明らかに
直隆の祖父・家宗が先陣で大太刀を振るう「野太刀ノ兵法」を創始し
一族で相伝したことも覚書に記されていた
同館は昨年2月この覚書を含む田代家文書約九十点を京都市の古書店で購入
覚書に記された内容が断片的に知られる真柄氏の資料と符合していることから
「信頼性はかなり高い」とみている
家正と直隆の事績が一体化して
真柄十郎左衛門という一人の人物として伝承された
「信長記」で家正と直隆を区別せずに真柄十郎左衛門と書かれていたため
後の軍記物で二人を混同して十郎左衛門のイメージが形成されたとみている
十郎左衛門が使ったとされる大太刀が
熱田神宮や白山比咩神社など各地に点在することは
熱田神宮や白山比咩神社など各地に点在することは
「兵法を相伝し一族の多くが大太刀を使っていたので
各地に何本も現存していても不自然ではない」とした

真柄景忠(家時の嫡男)は野太刀ノ兵法の達人で
小太刀の達人の戸田清元(富田勢源)とも対峙しました
野太刀は敵軍の城門、塀、柵を切り破るための兵法
そのため真柄一族は先陣を任されることが多かった
府中の鍛冶師千代鶴を召し
9尺9寸の太郎太刀、8尺の次郎太刀を造りました
これは元来、十郎左衛門の事績とされたものです
直隆と隆貴は親子だと思ってたら兄弟と書かれていたり(諸説あり)
千代鶴が造ったのは次郎太刀だけかと思ってたら
太郎太刀もと書かれていたり
姉川の合戦で匂坂に討ち取られた十郎左衛門は
直隆ではなく実は父家正だったり
千代鶴が造ったのは次郎太刀だけかと思ってたら
太郎太刀もと書かれていたり
姉川の合戦で匂坂に討ち取られた十郎左衛門は
直隆ではなく実は父家正だったり
謎を解き明かすどころか、余計わけわかんなくなった

笏谷石を京へ送るよう指示する豊臣秀吉朱印状も展示されてました。
本物の糸印は豊国神社の御朱印に押された印より大きめ。
エントランスではパネル展戦国越前の謎を解く~明智光秀~をやってました。
お昼ご飯はそば処 裕心さんへ。
20年以上前に1度だけ行ったことあるのをふと思い出した。
12時ごろに行ったからかお客さん続々来て満席になりました。
おろしそばとミニかつ丼のセット ¥1,100
そばは、おろし・ざる・かけから選べます。
おろしは辛くないからパンチは無いけど私好み。
そばはこしがあって、出汁は甘めかな。
それも私好み


Uチャン
診療費明細

4/4 ¥1,650
4/7 ¥1,650
4/11 ¥11,220
4/14 ¥6,352
4/19 ¥4,290(フード含む)
4/21 ¥4,345
4/25 ¥1,650
4/28 ¥6,352
合計 ¥37,509